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大峯山寺

天武天皇元年(672)役の行者が苦行ののち、金剛蔵王大権現を感得しその御姿を桜の木に刻んで堂宇に祭祀したことに始まると伝えられる修験道の根本道場です。

大峯山寺本堂は古くは山上蔵王堂と呼ばれており、日本山岳宗教有数の大規模な建物で、天平年間に行基が大改築、また昌泰年間(898〜901)にも再建されたものでしたが、天文三年吉野山麓の一向宗本善寺(吉野町飯貝)との争いの末、三十六を数えた迦藍寺坊(がらんじぼう)と共に焼失してしました。

現在の本堂は、江戸時代の元禄四年(1691)の建立で、その後拡張されて元禄十六年、現在の規模になりました。高山に建てられた稀有の遺構であり、また数少ない修験道の遺構としても価値は高く、国指定の重要文化財に指定されました。明治時代の発掘調査で付近の山頂の経塚から藤原道長の経筒など43点が出土し、大和金峯山山頂出土品として重要文化財になりました。

また昭和59年の解体修理のときにも、本堂内の土中より金製の仏像二体や多数の出土品が発掘されました。現在も国内で唯一女人禁制とされており、修験道の根本道場にふさわしく、「油こぼし」「鐘掛岩(かねかけいわ)」「西の覗き」の表の行場と「胎内くぐり」「平等岩」「蟻の戸渡り」「東の覗き」などの裏行場があります。

大峯山寺は、毎年5月3日に戸開式、9月23日の戸閉式に至る143日間本堂の扉を開け、この入峯期間中は参詣者、登山客でにぎわいます。寺は洞川の龍泉寺、吉野の竹林院・桜本坊・喜蔵院・東南院の五ヶ寺が護持院になって維持されており、これら護持院は山上での宿坊として営業されております

 

 

施設情報

所在地 大峯山頂
利用期間 本堂の扉が開くのは毎年5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式まで